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右足のハナシ

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電車の中で、書き留めたブログなので、まとまりのない文章となり
ご容赦いただきたい。

生来からの神経痛が悪化し、自分で言うの変だが生業(なりわい)としている漢方で、
随分と痛みが改善しました。

疎経活血湯(そけいかっけつとう)という処方でございます。
血行や水分循環を改善し、また痛みを発散して治していく漢方処方です。
その作用から、関節痛や神経痛、腰痛や筋肉痛などに適応すると言われております。
証としては体力が中くらいの人で、皮膚が浅黒く、ときに浮腫をともない、足腰が冷えて痛むときに適するという方剤
で、服用してかれこれ三ヶ月になりますが、「痛み」には良く効くようです。
小生は趣向として煎じ薬しか服用しませんので、 各種生薬パーツを取り寄せて、自身でブレンドして
作りました。以下、使用した生薬です。

当帰(トウキ)
川きゅう(センキュウ)
芍薬(シャクヤク)
地黄(ジオウ)
蒼朮(ソウジュツ)または白朮(ビャクジュツ)
茯苓(ブクリョウ)
桃仁(トウニン)
牛膝(ゴシツ)
陳皮(チンピ)
防己(ボウイ)
防風(ボウフウ)
竜胆(リュウタン)
白し(ビャクシ)
生姜(ショウキョウ)
威霊仙(イレイセン)
羌活(キョウカツ)
甘草(カンゾウ)

疎経活血湯の「経」は血液や水分の経路のことで、その経路の疎通をよくして、血液循環・水分代謝を活発にするという
意味がこめられます。明時代の「万病回春」という古典書で紹介されている処方です。

また、一般的に証(体質)は、中間証(体力中くらい)、寒証(冷え)、血虚(貧血・血行不良)、湿証(水分停滞)となります。

神奈川県のF様、メール頂きましたが、ご参考にして頂くと幸甚でございます。

さて、漢方薬の宣伝みたいなブログになってしまいました。
実はどうしても、右足のかかとから、膝にかけて以前から麻痺感がひどく、各種プロテクター・サポーター、物理的には
貼るホカロンなど、いろいろと使用しましたが、この痺れだけはなかなか改善しませんでした。

自動車の運転を断念したのもそれがきっかけになりました。

親族に病人が複数おり、その介護やら手伝いやらで、仕事の合間に外出しておりますが、この右足だけは困ったもので、
疲労してきたり、多忙になるにつれて言うことを聞いてくれません。

愛用の黒檀ステッキからは手が離せませんが、痛みが去ったものの最近は過労も重なり、この痺れが悪化しました。

上りは良いのですが、下りの階段が怖い。駅の構内の混雑で、後ろから押されるとバタリと倒れてしまう。

何度も新宿駅山手ホーム、品川駅連絡通路で押し倒されたことでしょう。朝のラッシュはまさに格闘技となります。
先日、駅の混雑時に後ろからどつかれ、案の定、押し倒されたのですが、小生の背中の上に信じられないほど
肥満された年配ご婦人がのしかかって参りました。私は「受身」の体勢で倒れこんだのですが、ご婦人は全体重をまともに
のせてこられ、「むぎゅうっ」「がーん」と、小生はぺちゃんこになり、顔面をコンクリートの床にたたきつけてしまいました。
あろうことか、さらにその後方から二、三人の人が折り重なり、暫くそのご婦人と床でもがいておりました。

小生はおでこと顎を擦りむき、ご婦人のハンドバッグをどうぞと差し上げると、彼女「痛いでしょう、なにやってんの!」
怒鳴られてしまいました。痛いのは小生の方なのに・・・。
すみません、お怪我は・・と言うと。「バカ。」と、言いながらハンドバックをひったくるようにして、雑踏に消えていきました。
ああ、重かった。こういう場合は一番最初に倒れた方が悪いのかどうか、法律的に小生はわかりませんが、
とにかく小生が「バカ」なのだそうです。
知り合いの看護師さんに治療途中、怪我の事情を話したところ、それは押し倒した方が当然加害者になるとのことで、
笑われました。
その親切な看護師さんの紹介で、南品川にいる「鍼灸師」の名人をご紹介して頂きました。
ご高齢(とうに80過ぎ)の先生で、この秋には後継者もおらず、閉院するそうです。
鍼と聞くと、あまり乗り気ではなかったのですが、親切過ぎる?看護師Hさんが半ば強引に予約をされましたもので、しぶしぶ行ったという
按配でございます。

まだ、2回目ですが、うそみたいに効きました。痺れはまだ本質的には改善しませんが、全然違う、今までと。
きちっと両足で立っている感覚が蘇りました。実感がわかるんです。凄いですね。
院長本人はたった一人のスタッフで、二代目なのだそうです。小僧さんの時から初代(義父)から習い、学校を卒業してから
この仕事一筋で延々とされてきたとの話しをして頂きました。
子供がおらず、ご子息は養子で、医者として現在大学病院で活躍していると自慢しておりました。
立派なものです。それと、とても残念なことは、心臓病を患っており、子息のドクターストップもあり、事実上もう仕事は
よほどの「義理」がない限りしないそうで、私が多分最終最後の患者なのだそうです。
それでは、申し訳ない、もういいです。と、言ったら、Hくんは生真面目な看護婦で、昔医局で私の息子も世話になった。
息子にはとっくに彼女から連絡ついているはずだから大丈夫だ、気にするなと、言われた。
私の、体全体を最初に診た院長は、うーーんとため息を漏らし、お若いの、酷使しすぎだね・・。と呟かれた。
酷使?何をですか?
腎も脾もすべてじゃ。どうせ、病院でくだらん治療を受けたんだろう。治るわけない。
??
今日はね、かなり痛いし、あなたにとっても時間があまりないでしょう。少々厳しい治療だが、大丈夫かな?
どうぞ、存分にお願いします。(内心はハラハラ・・・。)
それから、1時間は経過しただろうか・・・。

私の体全身は、鍼の山と化していた。頭だけでも10本以上はあろうか、足の先に至るまで・・・当初は正直痛かったが
不思議と無視できた。

しかし、凄い筋肉と体力だね。相当昔は鍛えたんでしょう。毛穴が全部開いている。ハナシにならんなぁ。
普通ここのでの施術はまず無理だよ。
患者がネをあげるからね。我慢強いなぁ。あなたとは、不思議なご縁だねぇ。Hくんは元気かね?
!はぁ。・・・とても感謝しています・・・。

・・・とわけわからん話ばかりで、あとは耐えるのに必死で、汗まみれ・・会話はほとんど記憶にございません。
これも名人のなせる業なのでしょうか。よくわかりませんが。

帰りの電車に乗ってつり革につかまった時、踏ん張れる右足に気がつき、「ははぁーん」と、大声を出してしまった。
周囲の乗客は怪訝そうな顔したことであろう。

都合5回で終わりです。院長の声が涼しげだった。
5回・・・。と、言うことは、あと4回か・・・なにか後ろ髪引かれる心地がする。あと4回で、院長も引退なんだなぁと
思うと、とても寂しいし、同時に光栄に思い、さらに「人の巡り合い」にあらためて感謝した。

そんなわけで、眼から鱗のような、小生の鍼治療であるが、現在小生が携わっている漢方も同様の東洋医学。
院長が言われるように「これもご縁」かも知れない。
少し、鍼灸の話しなど小生はするガラではないが、拙い記憶を辿っての聞きかじりを述べてみよう。

鍼灸(しんきゅう)とは、身体の特定の部位に鍼や灸を用いて皮膚または経絡に刺激を与えることで、病気を直す東洋医学の治療法をいう。
日本において鍼灸を業として行う場合は『はり師』『きゅう師』(それぞれ単独免許)が必要とのこと。
なお、鍼は必ずしも人体内に刺すものではなく、皮膚をこするだけのものや押すだけのものも存在するそうです。

鍼灸の発生起源は詳しくは分かっておりませんが、戦国時代には灸はすでに用いられていたそうです。
馬王堆から発見された医書は、灸に基づいており、鍼による治療法はないとのことです。

一方、現存最古の医書『黄帝内経』では鍼治療にもとづいて書かれており、
前漢中期頃に灸から鍼への理論的確立がなされたと考えられます。

『黄帝内経』の『素問』の異法方宜論では鍼灸、按摩の起源が記されているが真偽の程は定かではありません。
鍼灸の初期は疼痛部に対する処置であったが、陰陽五行思想と融合し、また経絡学説や臓象学などと結びつき、
経穴に対して施術を行う形になっていったという経緯がございます。

その昔、鍼灸は湯液や外科手術などと共に医家と呼ばれる人々が行っていたわけです。
有名な医家として『難経』を記したとされている扁鵲や三国時代に活躍した華佗、
『鍼灸甲乙経』を編纂した皇甫謐などが居ます。

宋代から元代は鍼灸を含め医学分野の充実が見られますが、金元医学の中心は主に湯液によるもので、
元の滑寿は『難経本義』の中で「難経などの古い鍼灸書を捨てて、新しい湯液に走るのは薮医者である」と諭しているようです。

1822年、清王朝は宮廷医院内の鍼灸科の廃止を宣言するなど西洋医学の流入と共に伝統中国医学の衰退が始まりました。
中華民国時代、袁世凱は伝統中国医学を禁止しようとしたが強い反発にあったという話しも読みました。

中国共産党の時代に中医を正規の医学として認可するまで中医廃止派と中医派の対立が続きました。
中医を勉強されている方々でしたら周知かと思います。

やがて正規の医学として認可すると、逆に冷戦時代にはアメリカやソ連を中心とする西洋文明に対抗し、
東洋文明の価値を宣伝するべく鍼灸治療をメディアに紹介したわけです。

改革開放の波に乗って市場経済社会主義を標榜するようになってからは、中国国内での鍼灸への評価は多様化しているようですが、
一方では一種の「頭脳流出」ともいえる現象も起きていて、
優秀な中医や鍼灸師がよりよい活動の場を中国国外に移住するケースもよく見受けられるようになりました。
実際に日本に帰化されてご活躍の先生も大勢いらっしゃいます。

日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に伝わったと言われています。
鍼灸の伝来と共に鍼灸は律令制度に取り入れられ、日本の医療の一部として浸透し始めました。

丹波康頼の『医心方』には鍼灸の条文が記載されていますが、鍼の使用法については外科的なものばかりであり、
現代のような金元明医学の鍼法とは大きく異なります。

灸法についても、現在のような経脈(経絡)を意識したツボ(経穴)の使用法ではなく、
特効穴的な選穴か、鍼と同じく外科的な使用法でありました。

これらは『千金方』や『外台秘要』などの影響であり、隋唐代医学そのものと言って過言ではないでしょう。
ツボや経脈が現在のような使用法に至るには、曲直瀬道三のような明代医学の伝来を待つしかなかったようですね。

室町時代から江戸時代に入って日本鍼灸は大きく発展しました。

『鍼道秘訣集』の夢分斎、打鍼術を発明した御薗意斎、
『素問諺解』、『難経本義諺解』、『十四経発揮和語抄』など中国の文献の解釈本を多く出版した岡本一抱など、
この時代は多くの人物を輩出しましたが、
特に杉山和一の功績は大きいと思います。

杉山和一の考案した管鍼法は日本の主流の技法となっているようです。
又、盲人であった和一は盲人の鍼灸術修得のため鍼治学問所を設立したのも有名な話です。 

明治時代になると、近代西洋文化の流入に従って、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めました。
鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退をたどってしまいました。とても残念です。

昭和に入ってから第二次世界大戦やGHQの統制で鍼灸の存続が危ぶまれましたが、
医学博士石川日出鶴丸や全国の鍼灸師の働きにより昭和22年(1947年)12月20日身分法として
「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布されたのです。

また、鍼灸の衰退に対して復興運動が昭和初期から起こりはじめました。
「古典に還れ」と提唱した柳谷素霊とその元に集まった岡部素道、井上恵理、本間祥白、福島弘道などが経絡治療を体系化したのもこの頃です。

他にも澤田流太極療法を考案した沢田健、『鍼灸重宝記』を記した八木下勝之助などが古典を元に鍼灸の復興に力を注ぎました。

昭和58年、鍼灸を専門に研究する初の四年制大学である明治鍼灸大学が開学しました。
そして、
昭和63年、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」の改正により、
知事免許であった資格が国家資格となったわけです。

そして、今このことを電車の中でニタリと笑いながら、右足を摩りながらPDAに書き込んでいる小生がいるのです。
健康に感謝。合掌。

「めぐ」橋本